豊田市足助観光協会ブログ

2022.04.25

youtube足助チャンネル『#6足助春まつり~重範祭』公開しました(^^♪

4/9・10に行われた足助春まつり「重範祭」
晴れて暑いくらいの天気に恵まれ、良いお祭りでした!ほんとにお疲れ様でした。
今年は5台の花車(はなぐるま)と呼ばれる山車が出ました。
準備段階から、各町でコロナ対策にほんとうに苦労されたと思います。
早く全国でお祭りが出来る世の中になってほしいものです。。。

<足助神社と足助春まつり>
足助神社は、創建は明治35年3月17日、ご祭神は足助次郎重範公です。
足助八幡宮の東となりにあり、元弘の乱(1331)に、南朝・後醍醐天皇を守り、笠置山(京都府)で奮戦した足助次郎重範公(あすけじろうしげのり)を称える祭りです。かつては重範公の命日にちなんで5月3日に行われていましたが、最近は桜の咲く季節の4月の第2日曜日とその前日に執り行われています。お祭りでは、足助地区中心部にある7つの町(親王町、田町、本町、新町、西町、宮町、 松栄町)が花車を出し、町内を曳き回します。この花車は、桜、藤などで美しく飾られています。
10代までの女の子が囃子方の笛に合わせて太鼓をたたき、歌を歌い、若連と呼ばれる20代が中心の男衆が花車の梶をとり、足助の町並みを練り歩きます。
男性的で勇壮な秋祭りに対し、春まつりは、華やかな女の子の祭りといわれています。

<足助次郎重範とは>
鎌倉時代末期、足助氏7代目の惣領として飯盛山城(豊田市足助町)に居城し足助一族を統率した武将です。元弘元年(1331)笠置山(京都府)において鎌倉討幕の兵をあげた後醍醐天皇に味方し各地から集まったろう城軍の総大将となり戦い、その奮戦する様子が「太平記」に描かれています。重範公は捕われ、元弘2年5月3日に京都六条河原で斬首されました。


<足助氏と柳生家と犬山成瀬家の関係>
 足助の地名の由来は定かではないが、平安時代には足助の庄、鳥羽天皇の皇女、八条院の領地として存在しておりました。そこへ源氏の流れを汲む浦野重長が足助荘官として足助に来住し、足助氏と称するようになりました。それが1177年頃です。足助氏は代々天皇家に味方をしておりました。その七代惣領が重範です。重範は武功に長けた勇敢な武将で1331年、後醍醐天皇による討幕計画、元弘の変で笠置山に逃れた天皇を総大将として警護しました。
そして搦手門(裏門)を警護したのが柳生一族の始祖、柳生永珍(ながよし)です。足助氏と柳生氏はいわば戦友です。
 そして、足助重範公には滝野姫という娘がおりました。
関白二条良基が都の混乱を避け、足助に身を隠していた時期があったと言われており、良基の身の回りの世話をしたのが滝野姫でした。やがて恋仲となり、生まれた子供が三吉丸といい、成瀬基久を名乗り、犬山城成瀬家の始祖といわれております。犬山成瀬家初代 正成が尾張徳川家の附家老のおり、剣術指南役に柳生を推したのも足助氏、成瀬氏、柳生氏の関係からでしょうか。
その関係もあり、足助神社の祭礼「重範祭」足助春まつりには、尾張柳生一門の方々による気迫あふれる演武が披露されます。
 足助次郎重範公の流れか、足助では今でも弓道が盛んなんですよ!

香嵐渓の新緑も良い季節です!ぜひ、見に来てください(^^♪

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